twitterlog(Mon, Aug 23 2010)

  • 01:36  空腹に対しお茶漬けで対処ちゅう. / 苦行主義とは言うものの,快の拒否さえ言えればいいんで,不快を好むことは言わなくてもいいですね.「快OK! 不快もOK! ばんじゃああい!」と「快も拒否! 不快も拒否! オワタ」とも苦行者に入りそうですが,考えたいのは「快拒否! 不快棚上げ」.
  • 01:51  .@at_akada 昨日は,「快は善いが,快なことは必然的に大きな悪を伴うので,快なことは必然的に悪い」(PaB苦行主義)という主張を,快楽説に対立すると見誤ってました.おっしゃる通り,快楽説はPaB苦行主義を受け入れられます.(何しても悪が生じるという絶望的な立場になるだけ)
  • 02:00  .@at_akada 快楽説に真っ向対立するのは「快は多くの側面において悪い」(AB苦行主義)ですね.ただし,「善は多くの側面において悪い」は矛盾ですから,快の分析次第でこの対立に決着がつきます.例えば,快はFeelingであるとわかれば,Feelingの悪を見つける方針が立つ.
  • 02:04  AB苦行主義はもちろんAspect Bad.そういえば,哲学的話題のうちウケがよかったものの1つには,FeelingとEmotionとMoodとの区別がありました.いらいらしてるひとに対し「対象のある感じとない感じとを区別しよう!」と言った.
  • 02:32  .@at_akada 痛みが価値判断を含意するという議論ですが,「(どんな痛みであれ)痛みから不快の成分をとりのぞくことができる」,「疑似痛みのようなものは...『痛み』とは異なる」の前提に,“痛みは不快を含意する”が含まれてしまっており,論点先取になっていないでしょうか.
  • 02:35  .@conchucame 「快をもたらさなくてもそれ自体で善い美的体験」については,快以外の(かつ快に還元できない)価値を認める立場はあるので(快楽説以外はみんなそうだと思います),そういう立場もありうると思います.押しつけがましく「特に楽しくなくとも美を感じろ!」という.
  • 03:06  .@at_akada はい,前提を怪しんでます.この前提を受け入れず,「不快痛み」と「不快なし痛み」ととして呼び分けてもいいのでは? トゲなし毛虫が新たに見つかったとき,それをニセ毛虫と呼ぶか,トゲアリ毛虫とトゲなし毛虫とをまとめて毛虫と呼びなおすか,って問題と同じに思えます.
  • 03:10  「痛み」が価値を含意する語かどうかは実験哲学の問題に思えます. / うーん,痛みについて考えていると,「この問題どこかで言及されてたはずだ……」という思いにかられるな.「この問題はたしかに進研ゼミでやったやつだが,どうやったのかは思い出せない」という状態に昔からさいなまれてきた.
  • 03:21  .@conchucame 「美には快が伴うか」というのがまさに美学上の問題なのですよね.私じしんは,自分が美を経験したことがあるかどうか自信がないので(ほんとうです),美とはどんなものかについてあまり直観が働かないのです.反例などでポンプしてもらわないと直観がわきません.
  • 03:29  「美」とか「主題」とかの語の使いかたについて学ばなかったのでわからんのだろう.主題を書かせる国語の問題は,最後に「を描いた感動の物語!」と付けて意味が通るように要約を書けばいいんだろ,と思って解いてた.血縁を捨てた哲学者がポリガミー的関係のうちに覚える充足,を描いた感動の物語!
  • 03:34  .@kvankam こんにちは.感じの対象が「あるはずだがわからない」とか「あるが誤って認識してる」とかってことはありえないと考えています.背中に老婆がおぶさっていることが_原因_でいらいらしてる,がそれに気付かない,という例でも,気付くまでその感じに_対象_はないと思うのです.
  • 03:42  .@conchucame 美の経験を広くとると,例えばゴアムービーでぞっとするのも,美の経験に当てはまるのでしょうか? 「ぞっとする」「かわいい」などを総称して(しかし「10立方メートルである」「赤い」などは含まずに)「美的判断」と呼ぶのだ,というのは納得できます.
  • 03:49  21日の『認知物語論キーワード』読書会に参加された皆様,主催の@yaniwani 様,ありがとうございました.大変勉強になりました.人々が文学作品を読む際に起きていることを検討するのは,ジェンダ批評などでもなされてきたことですが,認知科学はその方法を新たに提供できると思います.
  • 04:39  .@kvankam その場合,「よくわからない」のは原因であって,対象ではないのでは,というのが私の考えです.どんな感じであれ,何らかの神経の興奮という原因があります.でも,すべてのいらいらが神経の興奮を対象としている,というのは奇妙に思えます. / 私,至近要因と混乱してるかも
  • 04:53  .@conchucame 「快をもたらさなくてもそれ自体で価値をもつ美的体験」ですが,快と独立した価値を美に対して認めれば,美的体験はみんなそれに当てはまると思います.知識に快と独立した価値を認める立場などはあるはずなので,それと同様に.
  • 07:06  @crimson_fox こんにちは.自明な命題にすべて快が伴っていたら,無限大に快を味わえていいのですが,そんなことはありません.価値の欲求(選好)充足説(本人が知らなくとも,欲求どおりのことが成立していることを善いとする)に対しても似た反論があるみたいです.

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