twitterlog(Mon, Oct 03 2011)

  • 18:38  自分がいま弁別可能な形で受け取ることのできる快(の原因)の、それも個数のみを数えて快の度合いとして計算するのであれば、たしかに桃色感はあるんぢゃないでしょうか(そのジェンダ的含意には肩入れしませんけども)。快の総量は計算不可能でも、発生源の個数なら比較しやすそう。
  • 18:59  @at_akada まったくそう思いますが、「幸福の総量」の解釈として、“幸福の原因の個数”をとることもわりと日常に即してるかと思います。「いいことを数える」式自己啓発法は流行してますよね。快が比較可能であることはともかく、合計可能であるという直観は哲学的にも検討対象ですし。
  • 23:43  14年ほどの付き合いになる隣家の犬が亡くなったが,水曜は勉強会だからとりあえず後回し.

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