twitterlog(Sat, Jul 24 2010)

  • 13:43  タイヤチューブ(輪であり,中身も中空である点でドーナツよりこの場合適切だと思う)の真ん中はあるか.この場合でも端はあると思われる.端のないものは,3次元から見た4次元球など?
  • 13:45  「認識論」は,「知覚されたもの」「知覚の結果生ずることがら(知識?)」「知覚のしかた」などを論ずる点で,ひょっとして「エクリチュール」に近いのではないでしょうか.
  • 13:47  海の日にずっと同じ姿勢でPoPを読んでいたのだけど,そのとき机の脚に私の足の人差し指を押しつけていた.それで血流が止まったらしく,いま,そのへんの触覚がおかしい.特に変色などしているわけではないけれども,いつ戻るのだろうか.
  • 14:11  .@at_akada 3次元的に考えて(3K)端は表面ということになると思ったのですが,ものを1次元に見ないと端とは呼べないかもしれません.2次元なら縁? / 「この縁わたるべからず」だったら吉四六は最初の1歩を踏み出すことができなかっただろう.
  • 14:26  .@metaphusikaエクリチュール」は,「書くということ」「書きかた」「書かれたもの」をごた混ぜにした呼びかただとよく言われます.「認識論」もこうしたごった煮ではと. / 「認識論的」はよく「お前がそう思うならそうなんだろう/お前ん中ではな」と同じに使われてるようだ.
  • 14:41  .@metaphusika お話はよくわかります.おっしゃる意味では「エクリチュール」と「認識論」とはぜんぜん似ていません.私が言いたいのは,「エクリチュール」「認識論」「Web2.0」はどれもごった煮概念に思えるので,切り分けた場合はっきり考えられるのでは,ということです.
  • 14:44  .@metaphusika ところで,言語化されない知識についてはやや関心があります.通常,知識であるためには信念(命題内容)でなくてはならんと思うのですけど,マリーの部屋の思考実験にからめて,「知る」という概念をもっと広げて考える立場が出ていたと思います.
  • 14:54  こちらの論文で知りました.山口尚, "知識論証――その歴史と展望"(CaAP, 2009). http://openjournals.kulib.kyoto-u.ac.jp/ojs/index.php/cap/article/view/61
  • 15:28  これは読みたいな. Stecker & Davis, "The Hypothetical Intentionalist's Dilemma: A Reply to Levinson", BJoA, vol.50(3) 307-312, 2010.

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